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扉を開けたら別世界が広がるような木目調の隠れ家。 昼間は陽の光が、夜はスタンドライトとランプの間接照明が優しく店内を照らす、「光」をコンセプトにした西荻窪初上陸のシーシャ専門店です。 古き良きシーシャ屋さんの、スタッフとのコミュニケーションの緩く心地よい雰囲気と、最近のシーシャ屋さんのトレンドであるおしゃれで寛げる店内の二つの良いところを融合させました。 創作シーシャを始めとした他店ではなかなか吸えないようなシーシャ、ドリンクを提供致します。
自由ヶ丘 シーシャカフェ kannok(カンノーク)で店長を勤めていたなおきさんが、
新たな挑戦のために西荻窪で shisha hælo(ヘーロウ)をオープンした。
前編では、なおきさんのシーシャとの出会いや、カンノークで働き始めた経緯について、カンノークオーナーのコウさんも交えてお話を伺った。
大学3年生の時にサークルの友達に連れられて、自由ヶ丘の『kannok』に行ったのが最初です。
「怪しいし、なにこれ、こわっ...」っていう印象でした。笑
でも吸ってみたら「煙めっちゃ出るし、面白いし、美味しい」と思いましたね。
この時にシーシャを提供してくれたのが、コウさんでした。
アンブロシアとデクラウドのメロンか何かのミックスをシリコン・ロータスのセッティングで作ってくれました。今でもよく覚えてます。
(コウさん)運命の出会いでしたね。笑
シーシャデビューの日は、帰りに若干酸欠になりながらも気分が良かったですね。
その後は、「シーシャ」と検索したら『チルイン』や『NORTH VILLAGE』が出てきて「大手なのかな」と思って行ったり。
友達と高円寺の『はちぐらむ』や赤羽の『SHISHAdeTREE(シーシェイドツリー)』に行ったりしました。
シーシャにハマり出したのは、社会人になってからですね。
この時はまだお客さんとしてシーシャを楽しむ程度で「極めたい」という欲求はありませんでした。
社会人になる2017年4月に初めて浅草の『kimet(キメト)』に行き、それをきっかけにシーシャのおいしさに対して、自分の中で「こんなシーシャがあったらいいなぁ〜」というワガママが生まれ始めてきました。
色々とシーシャ屋巡りはしましたが、通いやすい自由ヶ丘の『kannok』と浅草の『kimet』に落ち着いた感じですね。
前職を退職するあたりから「シーシャを極めたい」と思うようになって、
『kimet』の shino さんや『はちグラム』の竜之介さんに相談してました。
シーシャ屋をやることに対してどちらからも猛反対されてましたけどね。笑
春先からちょこちょこ「kannok で働きたい」って言ってたんですよね。
でも当初は他の店舗を勧められたりしてて。
秋頃に『kannok』のメンバーに加わって BBQ に行く機会があって、
そこでひたすらシーシャを作ってて、10台くらい作ったんですよね。
その時は自分が作ったシーシャを吸って欲しいって思いが強かったんですよ。
僕のシーシャを吸った コウさんから「こんなにマイルドにアルファーヘルを出せる人はいませんよ。うちで働きませんか?」って言われて。
コウさんは酔っ払ってたので「その言葉本気にしますよ?」ってゴリ押し気味に言いましたね。
(コウさん)
みんながお酒飲んだりお肉食べてる中で、なおきさんはシーシャ8台くらい一気に作っちゃうんですよ。
シーシャに対する情熱に感動したのと酔った勢いで「じゃあ、やってみようか」って言ったんですけど、次の日には覚えてなかったです。(笑)
後日改めて検討してもらったら「11月1日から来てください」って言ってもらえて。
最初の1〜2ヶ月は研修で「1人前になったなと思ったらワンオペさせます」って言われてたんですけど、1週間後にはワンオペしてました。
なんかある日突然「はい、あとはなおきよろしく。」って言われて。
完全に業務を覚え切ったわけじゃなかったから、めちゃくちゃテンパりました。
その日の深夜にいきなり8人くらい同時に来ちゃって、もう必死に回しましたよ。
「常連の友達」が「お客さん」になったので、シーシャに対する見方はガラっと変わりましたね。
自分の軸はもちろんあったけど、それだけだとやっぱり限界があって。
お客さんにシーシャを提供し続けるうちに、良い意味で自分の軸がなくなってきて、
「こういうオーダーだったら、こう出してあげたら喜ぶかな」みたいな
お客さんを喜ばせたいって欲が出てくるようになりましたね。
シーシャの出し方や接客っていうのは、他のシーシャ屋さんを回って勉強してましたね。
観察してデータを集めていって、自分に足りなかった視点をアップデートしていくみたいなことをひたすらやってました。
原宿『Holiday』でレオさんに「なんでこのタイミングで炭替えしたんですか?」とか質問しまくって、質問の鬼みたいになってました。笑
とにかく分からないことをゼロにしたかったんですよね。
『kannok』に入って半年経ったころに、2号店の『Hadiqah(ハディーカ)』がオープンしたんですけど、そのタイミングで『カンノーク』の店長を任せてもらいました。
(コウさん)
オーナーとして色んな人を見てきましたけど、その中でなおきさんは、僕のいない時間でも、どんなに混んでる時でも、絶対に手を抜かないんですよ。そこがすごいと思いました。
『カンノーク』と比べると『ハディーカ』の方が自由が丘の駅から近いし、場所も分かりやすいし、2人体制で提供もスムーズで、営業時間も長いんですよ。
このまま何もしなかったらヤバイなと思って、
「カンノークがどうしたら生き残っていけるか」って自分の頭の中でずっとぐるぐる考えていました。
接客は、『kimet』の shino さんからすごい学びました。
コウさんからも「あの人はシーシャだけじゃなくて、接客も1番だから」って言われていたんですよ。
シーシャって、どんなに美味しくても視覚的な情報はモクモクした煙しかないじゃないですか。
だから、言葉で補ってあげる必要があるなって思って。
「こういう風にやるから、次、こういう風になりますよ。」って絶対に口にするようにしてました。お客さんに興味があろうがなかろうが、関係なく。
独り言になっても、言葉にするだけで「ちゃんと考えてくれてるんだな」って思ってもらえると思うんで。
それに人って何も説明がなかったら不安になるじゃないですか。その状態で帰っちゃうと、楽しかったのかも分からないし、その状態を絶対避けたくて。
そのマイナスの部分をひとつひとつ言動で潰していくって感じのことをしてましたね。
シーシャに関しても、焦げるとか、吸いづらいとか、ミックス同士が喧嘩して変な味になるとか、マイナスがあるんで、それをひとつひとつ潰していくためにすごい考えてましたね。
もう沢山ありましたね。忙しくて身体も悲鳴あげていたし。
夏場に冷房が壊れて効かない中で、お客さん沢山来てくれるし、みたいな。
それでメンタルが壊れたことがあります。
帰りの終電で人が乗ってくるのを見て、お店に入ってくるお客さんを思い出して吐き気がする状態になってしまったんですよ。
その時は、接客の質も下がって売上げも落ちてきて、 コウさんに LINE で怒られましたね。
結構厳しめに言われたんで「さすがに改善しないとやばい」って思って。
今までどうだったかとか、これからどう行動に落としていくのか考えて「これからこう改善していくので、よろしくお願いします。」って返して、そしたらちゃんと戻してくれましたね。
(コウさん)
やっぱり忙しくて、混んでくると心の余裕がなくなってくるんですよね。
僕のところに「なんか感じ悪いんだけど」ってクレームも来たりするんですよ。
でも、正直なおきさんの場合は、許容範囲でしたね。
許容範囲って思えないほど、結構厳しめでしたけどね(笑)
緊急事態宣言でカンノークは営業停止していたんですが、
営業再開してからお客さんはすぐ戻ってきてくれましたね。
(コウさん)
結構早くお客さん戻ってきてくれたなと思ったんですけど、
この人達はカンノークのファンというより、なおきさんのファンだなって思う人が増えましたね。
2021年の緊急事態宣言で営業時間を短縮しないといけなかった時期は、新作をガンガン出していた shino さんと電話をしょっちゅうしていました。
アドバイスをいただいてはいたのですが、何よりもやっぱりそういうのに触発されて「負けてたまるか」って気持ちがめちゃくちゃ強くなって、その反骨精神みたいなのが原動力で僕自身の心に火が付いていました。
そのおかげもあって、ミックスのアイディアがすごく湧き出てくるようになって。
毎日1個新しいミックスを作って、Twitter に投稿してたんですよね。
それで僕が呟いたミックスを見て、カンノークに初めて来てくれるお客さんが増えてきました。
例えば「イランイランのシーシャを Twitter で見たんですけど、これって今作れますか?」って来てくれて、忙しくて結構大変だったんですけど、やっぱり嬉しいんで。
「はい!!作れます!!」って感じで作ってました。
SNS戦略がめちゃくちゃ上手く行ったなと思いましたね。
通常は新規客と常連客の比率は7:3くらいだと思うんですけど、
カンノークでは5:5くらいになっていて。
僕がお店にいる週5日のうち、4日はもう予約いっぱいで、
ライトユーザーのお客さんが入れないみたいな状態になってしまってました。
でもなぜか月曜日だけスカスカだったので、常連さんと麻雀してたり。笑
実はコロナ入ってからの方が、業績がめちゃくちゃ良かったんですよね。
そもそもの話ですけど、新卒から1年未満で退職していて、当時は自己否定感の塊だったんですよね。だから次に本腰を据える仕事に出会えたら絶対に全力を尽くすって決めてました。
シーシャの仕事は、周りから反対されながらも選んでいるし、将来性の見えない業界なので、せめて自分にできることはしっかりやりたいって想いが強かったですね。
コウさんに働くことを反対されていた時に「シーシャはしんどいし、嫌いになるよ」と言われていましたが、その言葉通りで、シーシャ屋を続けてると結構嫌いになる時期もありました。
それでも他店に行ったし、勉強したし、シーシャを作り続けていました。
「クソな自分のままではいられない」っていう反骨精神が一番の原動力でしたね。
少なくとも仕事はちゃんとできるようになりたいと思っていて、
それは結果としてシーシャが上手くなることだったんですよね。
そこにたまたま「シーシャを作るのが好き」っていうのがぶつかったので、上手くベクトルが同じ方向に向いたって感じですよね。
(コウさん)
なおきさんには今まで言ってなかったんですけど、
なおきさんの言葉で僕が1番響いたのは「シーシャを吸うより、シーシャを作る方が好き」って言葉です。
それを聞いた時に「この人なら大丈夫だ」って、ちょっと特別だなと思ってました。
僕も近くで見ていてすごく勉強になってましたよ。
会社を辞めた直後は、ドン底にいたんでしょうけど、そこから徐々に自信をつけていって、自分の歩みたい人生を切り拓いていくのを見ていて、正直希望をもらいましたね。
これからカンノークをどうしていくか考えないといけないですが、
僕もこれまでのなおきさんから学んだり、上手く行っているお店から吸収していこうと思っています。
カンノークは、シーシャがあまり知られていない時代からもう10年間ずっと経営してきたわけですよね。
それでも、さらに学んでより良くしてこうってやってるところを見ると、やっぱりすごいなって思いますよね。
(コウさん)
僕は今、週1くらいでカンノークに立ってるんですけど、なおきさんは辞めてからもよく来てくれたりして、やっぱりこういう裏表ない人間性ってところにファンがつくのかなって思ってます。
裏表がないからこそ、コウさんと沢山喧嘩してぶつかり合うこともありましたけど、
お互いのことをよく理解できていて、僕の中では父親だと思って接しています。
(コウさん)
ぶつかり合いの中で、なおきさんは好きにしてもらおうと思って。笑
実際、店舗に立ってるのは僕じゃないんで、現場に立ってる人の意見を取り入れた方がいいとは思ってましたね。
コウさんは、現場の意見をすごく尊重してくれるんですよね。
働きやすい空間を作ってくれてるのを感じられてましたし、その点すごく感謝してます。
お店を任せてもらえたからこそ成長できましたし、育ての親だと思ってます。
カンノークに立ったことを1度も後悔したことはないです。
(コウさん)
僕もなおきさんを雇ったことを1度も後悔したことはないですね。
それは初めて聞けたので、嬉しいですね。笑
誰もがサードプレイスを持ち、他者との繋がりを感じながら、精神的に豊かな人生を送れる社会を実現させるために2017年より活動して参りました。
そのためにATARSHISHA(アータル)は、シーシャのカルチャーを記録、編集、発信すること通じて、シーシャカルチャーを形作る~Shape the Smoke~させて参ります。
サードプレイスの文脈にシーシャを載せ、ITの発達とともに希薄化されてきたコミュニティー、人間関係を豊かに変えるライフスタイルを提案いたします。